ちょっと最近精神世界主義の話になるけど。
同じくらいの時期に、違う人何人かから同じ事を聞いたとき、言われたときって
なんかの知らせって聞く。
こういう事って不思議とあるもんで、あたしがラジオ番組始めたきっかけもまさにそうで。
「ラジオ番組持ちたいなー」って漠然と思ってたときに、
ちょうど全く別々の人達からたまたま同時期に「日本の番組持ってみれば?」って勧められて。
「必要なら局の人紹介してあげるよ」なんてまで。
自分がそうしたいなって思ってるときに背中を押されるように
何かの偶然か必然で人に勧められたり、サポートされたり。
それが行動のきっかけになる場合もあるし、もしくは知らせだったりもして。
自分が思っている同じ言葉を同時に人が発したりとか、
あと、別々の人から同じ何かのキーワードを聞いたときとか。
それが何かを暗示する、自分に知らせるものだったりするのってあるんだと思う。
ここで音楽を勉強したのもまさに導かれた。
「カナダへ行って、誰か先生を見つけて、音楽を学びたい」
って漠然と思っていて、ただエクスチェンジワークだけのためにたまたま訪れた町に、偶然音楽カレッジがあった。
聞いてみたら憧れていたバークリーカレッジと提携していて、元バークリーの講師も何人かいるところで、カナダ各地や海外からも生徒が集まって来る、ある程度名の知れたカレッジだった。
中学高校時代からずーーーっと、留学したい、音楽を専門的に学びたいと願っていたものが突然目の前に現れた。
これをなんて説明できるだろう。
なんか話がつながらないけれど、そういう機会や知らせって、実は身の回りに頻繁に起こっているものなんだと思う。
それを流すか受け取るかで、その後の道がまた変わるんだと思う。
知らせとまた違うと思うけど、最近あったちっちゃいこと。
人に頼まれてたDVDがあって、でもその子に会う予定はその日なくて。
でもちょうど出かけるときに「持って行った方がいい」っていう勘が働いて。
「別に会う予定ないし、持って行くことないや」って思考が働いてその勘を無視したんだけど、実際偶然会ったんだよね。その子に。
思考が邪魔をして知らせとか勘を流すときもあるけど、ちょっとそういう小さなこと、もっと受け止めて行こうと思う。
ま、まーーったく働かないときもあるんだけど。
こういうのって、ほんと不思議。